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議会報告

2月議会における吹田事件をめぐる市の答弁を市長が事実上修正

 2月議会において、自民党市議が1952年に起こった吹田事件を取り上げ、「吹田操車場の襲撃が目的」「吹田市内を恐怖のるつぼに落とし込んだ武装デモ」と主張、市立図書館の事件紹介文の修正を求めました。市は、「誤解を招く表現だった」「当時のデモ行進で武力衝突があった」などと答弁し「デモ行進に対する弾圧事件」という紹介文を「デモ隊と警官隊が衝突した事件」と書き換えました。

【吹田事件とは】
朝鮮戦争開始2周年目の1952年6月、戦争反対の集会に参加した学生や労働者、朝鮮人約1000名が、戦争反対のデモ行進を行った。当時日本政府はアメリカの軍事行動を支援しており、国鉄吹田操車場は軍需輸送の拠点とされていた。参加者のうち111人が騒擾罪(現在の騒乱罪)で起訴されたが、一審二審とも騒擾罪の成立を認めず無罪が確定した。判決では、検察が言ういわゆる「武装」について、「全般的には防衛的なものであったと認められる」「集団そのものに攻撃的・暴徒的性格を認めることはできない」と、自民党市議の主張を明確に退けている。

 日本共産党は、5月議会で、吹田事件に関する紹介文を修正した問題を取り上げました。裁判では厳密な事実認定を経て平和的なデモであったことが明らかになっており、判決でも「武力衝突」という認定は一切されていないことを示し、改めて判決内容と市の認識を問いました。 地域教育部長は「デモ隊の行動は朝鮮戦争反対、軍需輸送に対する抗議のための集団示威行進とされている」「判決を尊重する」と答弁しました。 市長は「確定判決は理解し尊重しなければならない。公共の場において、特に公的機関である行政において、主観的言動は厳に慎まなければならない。ご指摘の点に何ら異論を持つものではない」と、事実上、2月議会での地域教育部長の答弁を修正しました。

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