障がい者福祉年金廃止についての問題点を2つ指摘いたします。一つは、廃止を決定するまでのプロセスについて。
当事者の意見聞かず障害者権利条約にも反する
市が本格的に廃止について協議を始めたのは今年5月からであり、当事者には、6月の地域自立支援協議会当事者会で、初めて見直しの意向を伝えられました。しかし、その時は福祉年金の使用用途についての調査と数名の委員から意見を聴取されただけです。
その後行われた7月の地域自立支援協議会と11月の社会福祉審議会、障害者施策推進専門分科会では、来年度廃止すると断言はされず、あり方について改めて検討していくとの説明でした。その後、10月20日の政策会議で廃止を決定されています。
2022年度実績で福祉年金及び難病患者等給付金受給者は8211人おられますが、その人たちには全く何も知らせず、意見を聴くことなく廃止を決定するという乱暴なやり方です。
後藤市長は、維新市政の民主性を欠いたやり方を批判していましたが、後藤市政になってからもパブリックコメントで意見を聞いた、説明会で説明をしたという形だけの形式的民主主義が目立ちます。
しかし、今回は形式的な意見聴取すらありません。障害者権利条約のスローガンである「私たち抜きに私たちのことを決めないで」にも反するものです。
経済的支援と普通に暮らすための支援、天秤にかけるべきでない
二つ目には、この事業の役割を終えたとする判断について。
条例を廃止する理由として、障害者に係る法整備等に伴い、障害福祉サービスや施策の充実化が進み、サービスの普及・定着により事業費が年々増加する中、施策等の維持・向上を図りながら、障害者への生活支援や社会参加の促進を安定的に行うためには、現金給付を見直し、サービス給付へ転換を図る必要があるとしています。
サービスとは、障害のある人が、障害のない人と同じように当たり前に食べること、排泄すること、働くこと、社会参加することなど、普通に暮らすための支援であり、また医療的ケアの必要な障害者であれば、痰を吸引すること、呼吸をするための管理をすること、胃婁から流動食を注入することなど、生きるための支援であり、サービスという表現はふさわしくないと思っていますが、利益を得ているわけではありません。しかし、そのサービスの充実化に、今後さらにお金がかかるため、現金給付はやめるとしています。
福祉年金は経済的支援が目的であり、障害者が普通に暮らす、生きるための支援充実を天秤にかけるべきではないことをまず指摘したいと思います。
その上で、福祉年金事業が創設された1960年代から見れば、確かに障害者に係る制度は時代によって変わってきました。しかし、教育を受ける権利も自由に移動し、働くなど社会参加する権利もない時代からの出発ですから、制度が整ってきたのは当然のことです。
時代の変遷の中、ようやく2014年に政府は障害者権利条約を批准し、障害のない「他の者との平等」を基礎とした法律や制度づくりへの節目となりました。障害のある当事者や家族、支援者は権利条約批准を機に、制度改革が推し進められることを期待しましたが、地域での生活は充実するどころか、厳しさを増しています。2013年に制定された障害者総合支援法は何度か改正をおこなっていますが、障害のある人の所得や生活保障を拡充する内容はほとんどありません。
障害者の方々の生活は厳しいまま
2018年に厚生労働省が行った障害者の「生活のしづらさなどに関する調査」で、18歳以上65歳未満の障害者手帳所持者等本人の収入は月額6万円以上9万円未満」の層が一番多いとしています。
全国の共同作業所の連絡会である、きょうされんが2015年に行った「障害のある人の地域生活実態調査」では、障害者の81・6%は年収122万円以下であり、98・1%が年収200万円以下であることを明らかにしました。主な収入源は障害基礎年金です。
この調査では親と同居している障害者が54・5%を占め、50歳代でも34・9%が親と同居しており、生活全般の介護だけでなく、経済的にも親依存の生活が浮き彫りになっています。
また、障害者事業所で働く人たちの月平均の工賃は約1万6千円であり、経済的な自立は非常に難しい低い額です。
過去の見直しでも必要とされた事業
過去には、2011年に行われた維新プロジェクトで障害福祉年金と難病患者等給付金が事業見直しの対象になったことがありました。その時、所管である福祉部は、「障害者福祉年金給付事業は障害者の生活の安定・福祉の増進、本人や家族の経済的負担の軽減という目的達成のために、行政が事業を担うことは妥当であり、障害者の生活の一助になっている。また難病患者等給付金事業は、大阪府特定疾患医療費公費負担制度等を補う社会保障機能として、市の役割は大きく、利用可能な福祉サービスが限定されている特定疾患者にとって、給付金支給事業の必要性が高い。」と事業の意義を説明しています。
対象の縮小はやむを得ないとしながらも障害者や難病患者の生活の安定を図るため、経済的支援が必要であると主張し、福祉年金については、精神障害児者の対象拡大も求め、この事業の存続に努力をされました。所管としての矜持がありました。
その事業見直しから12年経ったからといって、先ほど述べた調査結果からもわかるように、障害者のみなさんの収入や生活が安定したわけではありません。事業見直し当時、事業費は約4億3千万円でしたが、その額と比べても今年度の事業費は約2億6千5百万円、12年経過していますが決して事業費は増えていません。
質疑の中で福祉年金受給者の年収や生活実態について尋ねましたが、その実態を把握していないとのことでした。実態も把握しない。当事者の意見も聞かない。廃止分を何に活用するのか、それについても具体的なものは示されていません。廃止する根拠がありません。
当事者の方々からは切実な声が寄せられている
当事者のみなさんは、福祉年金を廃止しないでほしいと、短期間のことでしたが、昨日までにオンライン署名1677、個人署名197、団体署名31団体、合計1905筆の署名を集められました。どれほど福祉年金が必要なものであるか、それぞれの切実な声が寄せられました。声の中には、ヘルパーが不足していて利用ができない。重度障害者の暮らしの場は整備が進んでいないなど、「個人の選択を尊重し自立を促すサービスへの転換が図られた」とする市の見解が現状とかけ離れているという意見がたくさん寄せられています。
福祉年金は「年金が少ないので生活費の足しになり助かっています」と言う声が圧倒的に多く、また「病院への交通費使っています」、「普段は変えない服や本を買っています」など、どれもささやかな使い道ですが、100万円ほどの収入しかない皆さんにとっては、年間わずか数万円の福祉年金がどれだけ大切なものか、楽しみにされているのか、考えてみたことがありますか。想像をしてみてください。
冷たい市政運営はやめるべき
手話で福祉はしあわせと同じ表現をします。
福祉とは人をしあわせにするもので、市民をしあわせにする福祉の向上は自治体の一番の役割です。
障害があっても安心して吹田で暮らせる、独自の施策は、「福祉の吹田」といわれた象徴であり、吹田の宝です。重度加算の縮小に次いで福祉年金まで廃止すれば、障害者施策は後藤市政で大きく後退することになります。なぜ障害者ばかりを痛めつけるのでしょうか。
市長、あなたはどっちを向いているのですか、誰を見ているのですか。障害者のみなさんの姿が見えていますか。こんなこと本当に市長がやりたかったことなのでしょうか。
1979年、国際障害者年を控え開かれた第34回国連総会の決議(行動計画63)で「障害者を締め出す社会は弱くもろい」(外務省訳)と言明されました。障害者政策の根本的な解決は、社会のあり方とも深く関係しています。
大元は、障害者の生活実態を真剣に把握もせず、障害者基礎年金の引き上げなど生活保障に取り組まない国に問題があります。しかし、吹田市も当事者のみなさんの生活実態をつかむことなく、物価高騰で一層暮らしが大変な時に、生活の支えである福祉年金を廃止することはとうてい認めることはできません。よって本条例案には反対をいたします。
(反対少数で可決)